生命の言葉 一覧

生命(いのち)の言葉

神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」

 

令和二年五月【二宮 尊徳】
今日の暮らしは昨日にあり
今日の丹誠(たんせい)は
明日の暮らしとなる
 
恵みとは日々の暮らしを大切とすることで与えられるものである
『万物発言集草稿』
 
【二宮尊徳 (にのみやそんとく)】
相模国柏山村(神奈川県小田原市)生まれ。江戸時代後期の農政家。通称金次郎。各地で荒廃した農村の復興にあたると共に、「天地人」三才の徳に報いる報徳(ほうとく)思想を唱えた。明治以降は勤倹力行(きんけんりっこう)の象徴として、全国の小学校に少年金次郎像が建てられた。
 
【神道知識の誘(いざな)ひ】
■御田植祭(おたうえさい)
御田植祭は、その年の豊作を祈って行われる田植えの神事です。宮中では昭和天皇以来、毎年五月頃に皇居内生物学研究所にある水田に陛下御親(みずか)らお手植えなさいます。これは皇祖神である天照大御神から神勅とともに授かった「お米」に感謝し、米作りをなされ、秋には収穫した「お米」や「根付きの稲穂」を神々にお供えなさいます。全国の神社や神田においても、常に神様やご先祖様の恩恵をうけて作り続けられてきた日本人の生きる糧でもある「お米」に感謝の心をこめ御田植祭が行われます。
令和二年四月【福澤 諭吉】
一家は習慣の学校なり
父母は習慣の教師なり
 
人間教育の基礎として家庭内での良き習慣が重要である
『家庭叢談(そうだん)』
 
【福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち)】
幕末から明治の啓蒙思想家、慶應義塾の創始者。儒学者の父親と身分にこだわらず人々にやさしい母親の影響を受けた。国民の独立自尊にもとづく国家の発展と繁栄を目的として思想活動を展開した。「家庭叢談」(明治九)福澤諭吉刊行の家庭の団欒の記事を集めた雑誌の一文。
 
【神道知識の誘(いざな)ひ】
■立皇嗣(りっこうし)の礼
今上天皇即位礼正殿の儀から半年後の四月十九日に、皇嗣である秋篠宮文仁親王殿下が皇位継承順位一位である立場を国の内外に宣明(せんめい)する儀式。立太子の礼(皇太子の身分を内外に宣言する儀式)にならい行われます。
皇嗣とは皇位を継承することを予定されている皇族を言います。天皇退位特例法に基づき、立皇嗣宣明の儀・朝見の儀・宮中饗宴の儀等が皇居宮殿正殿松の間等で行われます。
令和二年三月【斎藤 茂太】
人生に失敗がないと
人生を失敗する
 
【斎藤 茂太(さいとう しげた)】
大正五年生まれ。精神科医、随筆家。
歌人で精神科医の斎藤茂吉の長男として東京市(当時)に生まれる。「心の名医」「モタさん」の愛称で広く親しまれ、多くの悩める人を勇気づけ、人間関係を楽にしてくれる人生術に多くの人が共感した。日本精神病院協会の名誉会長を務めながら執筆を続けた。
 
【神道知識の誘(いざな)ひ】
■皇霊祭(こうれいさい)
宮中では春分の日と秋分の日に皇霊殿において、天皇陛下が歴代の天皇・皇后・皇族の御霊をまつる皇霊祭と言う祭儀が行われます。
私たちの日常においても春と秋のお彼岸にご先祖様のお墓参りに行く習慣があります。「春のお彼岸」は農耕期に入る前、祖霊に日々の感謝を捧げ、家や家族をお守り頂けるようお祈りし「秋のお彼岸」は自然の恵みに感謝すると共に、祖先を敬い代々受け継がれてきた命の大切さ、家族の絆を再認識する節目の日とされています。
春と秋のお彼岸の日は、現在では春分の日(自然をたたえ、生物を慈しむ日)、秋分の日(祖先を敬い、なくなった人々をしのぶ日)とされ祝日に制定されました。
いつもお守りお導きいただいているご先祖様に感謝の心を常に忘れる事無く、御霊をお慰めいたしましょう。
令和二年二月【聖徳太子】
和(やわらぎ)を以て貴(たふと)しとなし
 
【十七条の憲法 第一条】
「やわらぎ」とは穏やかで平和であることを意味します
身分や思想で反発するのでなく和を重んじ活発な議論を行い調和していくことが最も大事です
 
【聖徳太子(しょうとくたいし)】
用明天皇の第二皇子。「聖徳太子」は、後世の諡号。厩戸皇子(うまやどのおうじ)、厩戸王(うまやどおう)とも呼ばれる。推古天皇の摂政として国内緊張のなか大臣蘇我馬子と協調し、遣隋使派遣・冠位十二階の制・十七条の憲法の制定など外交・内政面に尽力し、大王(天皇)を中心とする国家体制を目指した。
 
【神道知識の誘(いざな)ひ】
■天長祭(てんちょうさい)
天皇陛下の御誕生日をお祝いして、ご長寿並びに国民の平安をお祈りするお祭りです。「天長」とは、老子の「天は長く地は久し(天長地久/てんちょうちきゅう)」より引用され、古くは天皇陛下の御誕生日は「天長節」、皇后陛下の御誕生日を「地久節(ちきゅうせつ)」と呼んでいました。
天皇の徳を天に例え天が永遠であるように天皇の治世が末永く続くようにという趣旨で、明治以降は一世一元のため天皇の治世が末永く続くということは、同時に天皇陛下の長寿を祝うことになります。
令和二年一月【上皇后陛下】
神まつる 昔の手ぶり
守らむと 旬祭(しゅんさい)に発(た)たす
君をかしこむ
 
【神道知識の誘(いざな)ひ】
■旬祭(しゅんさい)
宮中三殿において毎月の一日十一日、二十一日には神々へ国家国民の平安をお祈りする「旬祭」が執り行われます。
主に掌典長が祭典を行いますが、原則として一日の旬祭には天皇陛下の御拝礼があり、陛下御親(おんみずか)ら神々に感謝し国家国民の平安を祈念されます。
全国の多くの神社でも、「月次(つきなみ)祭」など名称の違いはありますが、毎月一日に神様へ日々の御礼とご加護をお祈りする祭典が行われます。
令和元年十二月【文室真人智努】
天地(あめつち)と 久しきまでに
万代(よろずよ)に 仕(つか)へ奉(まつ)らむ
黒酒白酒(くろきしろき)を
 
【文室真人智努(ふんやのまひとちぬ)】
天武(てんむ)天皇の孫。初名は智努王(ちぬおう)。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)四年、文室真人姓を賜与され臣籍に下る。同年十一月二十五日の新嘗会(しんじょうえ)の肆宴(しえん)で応詔歌を奉り、後に万葉集十九巻に採録された。
令和元年十一月【上皇陛下】
父君の にひなめまつり
しのびつつ 我がおほにへの
まつり行なふ
 
【上皇陛下】
第百二十五代天皇
【ご誕生】昭和八年十二月二十三日
【ご称号】継宮(つぐのみや)
【お印】榮(えい)
【譲位】平成三十一年四月三十日
令和元年十月【本居宣長】
高御座(たかみくら) 天(あま)つ日嗣(ひつぎ)と
日の御子の 受け伝へます
道は斯の道
 
【本居宣長】
江戸時代の国学者。源氏物語、古事記など古典文学の注釈や漢字音、文法などの国語学的研究にすぐれた業績を残した。また復古思想を説いて儒教を排し、国学の思想的基礎を固めた。国学四大人の一人。
令和元年九月【上皇陛下】
夕やみの せまる田に入り
稔りたる 稲の根本に
鎌をあてがふ
 
【上皇陛下】
第百二十五代天皇
【ご誕生】昭和八年十二月二十三日
【ご称号】継宮(つぐのみや)
【お印】榮(えい)
【譲位】平成三十一年四月三十日
令和元年八月【昭憲皇太后】
日にみたび 身をかへりみし
古(いにしへ)の 人のこころに
ならひてしがな
 
【昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう】
明治天皇の皇后
【ご誕生】嘉永二年四月十七日
【お印】若葉(わかば)
【ご陵所】伏見桃山東陵
令和元年七月【明治天皇】
白雲の よそに求むな
世の人の まことの道ぞ
しきしまの道
 
【明治天皇】
第百二十二代天皇
【ご誕生】嘉永五年九月二十二日
【ご称号】祐宮(さちのみや)
【お印】永(えい)
【ご陵所】伏見桃山陵
令和元年六月【昭和天皇】
さしのぼる 朝日の光
へだてなく 世を照らさむぞ
我がねがひなる
 
【昭和天皇】
第百二十四代天皇
【ご誕生】明治三十四年四月二十九日
【ご称号】迪宮(みちのみや)
【お印】若竹(わかたけ)
【ご陵所】武蔵野陵
令和元年五月【天照大御神(あまてらすおほみかみ)】
天壌無窮(てんじょうむきゅう)
 
【天壌無窮の神勅】
皇孫(すめみま)に勅(みことのり)して曰(のたま)はく、「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みづほ)の國(くに)は、是(これ)、吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可(べ)き地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)、宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)り無(な)かるべし」

【口語訳】
天照大御神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に勅して申されるには、「豊かで瑞々しいあの国は、わが子孫が君主として治めるべき国土です。わが孫よ、行って治めなさい。さあ、出発しなさい。皇室の繁栄は、天地とともに永遠に続き、窮まることがありません。」