其の禄:立会川鉄橋と京浜電車
京浜電車の「立会川停留所」のすぐ南側には立会川が流れ、チンチン電車が鉄橋を渡っていた。この鉄橋の枕木の上には長い坂が敷いてあり、この付近に住んでいる人たちが停留所へ行く近道になっている。人口は少なく、停留所には駅舎もない。もちろん駅員もいないのを幸い、人々はこの橋をスリルを味わいながら利用していた。
大正四年の頃、京浜電車は一号から二十八号まで合計二十数台。救助網をつけた一本ポールの木製車で、屋根が丸型と角型が走っていた。この絵は丸型屋根の電車の方で、車掌さんが車内で切符を売っている。立会川停留所から品川も鮫洲も浜川も皆同じ片道六銭、川崎まで十三銭、終点の神奈川まで二十九銭だった。
立会川のこの付近は両岸が土手になっており、土手の南側は人家も少なく、一面の田園が開けていた。土手には太い欅(けやき)が所々に植えられ、護岸の役目をしていた。
立会川河口は大きな漁船(桁舟)の船着場となっており、小さな伝馬船や網船などはこの鉄橋を潜って、森本水車の滝の下あたりまで行き、土手の欅に舫って(もやって)いた。鉄橋の土手際には「砂風呂」の貸座敷の吾妻館などがあったが、車の通りも少ない静かな田舎町だった。