品川は平安朝の時代よりその地名があり、鎌倉、室町時代には江戸湾の重要な港として栄えてきました。太田道灌も品川に居た時代がありました。徳川氏が江戸に入り、慶長六年(1601年)に東海道五十三次を定め、品川は第一の宿駅となりました。沿道には由緒ある社寺が多く古くから七福神が祀られ、「七難即七福即生」の故事により参拝も多く、昭和七年に品川が大東京に編入された記念として、東海七福神初詣を定め、今に至っております。
※令和7年の東海七福神初詣は、元旦の朝より13日までの期間となります。
参拝の方法
令和6年より、七社寺お巡り色紙のみとなります。最初にお参りの所でお受け頂き、各社寺にお参り下さい。なお、団体参拝の際は品川神社でお受け下さい。
当社では、東海七福神の「福禄寿」をおまつりしていることから、福禄寿の「福」にちなみ、「福守り」をお頒ちしております。
福禄寿はその名の通り、福(幸福・吉祥)、禄(金運・財運)、寿(長寿・健康)のご利益のある有り難い神様とされています。また学問のし過ぎで頭が大きくなってしまったといわれ、学業成就・合格成就の御利益もあるといわれております。
※令和7年(大晦日22時より1月10日迄)は、300体限定頒布。
天祖・諏訪神社にてお祀りしています神様は、「福禄寿」となります。福禄寿は南極星の化身とされ中国の道教に由来する。人望をあらわし、その向上を祈れば霊験が得られるという。背丈が低く頭がきわめて長く、髪が多く白髪童顔で年齢は数千歳ともいわれている。
普段は本殿内にお祀りしているこちらの御神像は、東海七福神初詣期間のみ直接ご参拝の方にお触れ頂けるよう、社務所脇に拝み処を設けお祀りをしております。どうぞ、この機会に神様の御神徳(御加護)を頂かれて下さい。
文治三年(1187年)、源頼朝公が安房国の洲崎明神(天比理乃咩命)を当地にお祀りしたのを創始とする。後に鎌倉時代末に二階堂道蘊公が宇賀之売命を、室町時代中頃に太田道灌公が素盞鳴尊を祀る。また、徳川家康公は関ヶ原合戦出陣の際に当社にて戦勝をご祈願され、以降、徳川歴代将軍により庇護を受ける。
※最寄駅:新馬場駅北口 住所:品川区北品川3-7-15 電話:03-3474-5575
養願寺(ようがんじ) / 布袋尊(ほていそん)
正安元年の創建と伝えられ、天台宗明鏡山善光院養願寺と号し、御本尊は虚空蔵菩薩を安置する。福徳智恵の御利益を授かる丑寅年生まれの守本尊として信仰を集め、「品川の虚空蔵さま」と呼ばれている。本堂に鎌倉時代制作善光寺式阿弥陀如来三尊、江戸時代制作の不動三尊像、布袋尊が安置されている。
※最寄駅:新馬場駅北口 住所:品川区北品川2-3-12 電話:03-3471-9224
一心寺(いっしんじ) / 寿老人(じゅろうじん)
当山一心寺は江戸時代末期安政二年に当時の世上開国日本幕開けの頃、品川の土地に町民一体となり町内発展と守護の為創建、旧東海道筋において当山は裏鬼門の方角に向いて守護する寺であります。本尊は不動明王であり代々住職は大本山成田山、高野山、智積院にて弟子が住職を勤めております。
※最寄駅:新馬場駅北口 住所:品川区北品川2-4-18 電話:03-3471-3911
飛鳥から奈良へ、和銅二年(709年)の創建。
龍神を祀る元品川宿の総鎮守。品川貴布禰大明神、天王社と称す。天正十九年家康公より神領を寄進され歴代将軍より庇護を受ける。東京遷都の際には明治天皇の内待所となり、菊花御紋章を賜る。尚、陛下の御幸は四度に上る。天王祭神面神輿海中渡御は全国に知られる。
※最寄駅:新馬場駅北口 住所:品川区北品川2-30-28 電話:03-3471-3457
承応元年(1952)、権大僧都弘尊法印の中興で、真言宗海照山普門院品川寺と号し、本尊水月観世音菩薩は太田道灌公の念持仏と伝えられている。寺宝の大梵鐘から「鐘の寺」と呼ばれている。安置されている毘沙門天は御丈三尺余、足利期のものと思推せられ高野山伝来の由緒深き御尊像として信仰を集める。
※最寄駅:青物横丁駅 住所:品川区南品川3-5-17 電話:03-3474-3495
当社の期限は敏達天皇の二年八月といわれ、千四百年余の歴史を誇っている。「日本三代実録」で官社に列せられたとの記あり、その後の「延喜式神名帳」にも当社の名が記されている。幾度かの戦火をくぐってきたがその古の姿は「江戸名所図絵」等に「鈴森八幡宮」の名で記録され、多くの参拝客で賑わったと伝えられる。
※最寄駅:大森海岸駅 住所:大田区大森北2-20-8 電話:03-3761-2931