其の伍:立会川踏切と諏訪神社

 

この立会川踏切際が「立会川日本体育会前」の停留所であって無人駅でもちろん駅舎も無い。
 この画の踏切番は永年勤続で親しまれた瀬崎さん。踏切手前のこの道は立会川の土手だった。坂本の車屋さんと板倉の氷屋さんと二軒きりがあった。

 踏切の東側には西洋御料理の立会軒(今は二代目、田中米男さん)があり、当時、西洋料理をおいしく食べさせる店は品川中探してもここのほかにはなく本格的洋食の元祖だった。おいしさの一因は、材料がよく商売が堅く、主人が頑固なほど料理にやかましいからで、ことにここのカツレツの味は抜群にうまく、遠く小石川から土産に買いに来た人もあったほどだ。有名人も食べにきて本や雑誌に紹介され、立会川の名物であった。その隣の植清も古く、貸ボートも兼業していた。その向う隣には「チャンコ爺や」というお人好しの爺さんが赤い「おかめ唐なす」を呑気に売っていた。立会軒の前は高与材木店で諏訪様の角まで地所広く商っていた。

 画の石垣は諏訪神社境内の裏入口の石段である。諏訪神社は古く明治の東海道往還盛んな時代から氏神様として崇められ大きな欅(けやき)には落雷の跡も生々しく歴史の古さを物語っている。画の赤い祠は稲荷様である。諏訪神社はその後なぜ廃社にしたのか不思議でならない。この石垣の先は網船の網友、東海道の角店は唐物屋の小池屋、突き当りのほおづき提灯の下がった店は牛肉店の丸新で、すきやきの店もやっていた。