其の参:立会川森本水車の滝
いつの昔からか、大井の字浜川を北浜川と南浜川と呼んでいた。その北と南の中央には立会川が流れている。この立会川という名称の起源は、古い文献にも見出すことができないが、巷間(こうかん)に聞くその伝説を取り上げてみる。
往昔(むかし)戦国時代に、管領同士の国盗り争いや、地頭、国人、地侍などの葛藤が多く、この小さな川を挟んで小競合(こぜりあい)が行われたので太刀合川(たちあいがわ)と呼ぶようになったという。上流には鎧ヶ渕という地名もあり、この伝説を裏づけている。しかし、逆説的に考えると、太刀合川という文字自体が何となく文学的な志向が強く、いわば話が上手すぎて不自然な感を抱かせなくもない。
立会川河口から一丁ほど遡った土手に大きな欅(けやき)がある。ここに人工的に水流に段差をつけた堰(せき)があり、これが森本水車の滝である。道路際には水車小屋があり、この小屋の中で水車を回し米を搗(つ)いていたので、道を通ると絶えずゴトンゴトンと臼をひく音が聞こえてきた。森本水車の南は一望の田園や畑で、寺下の水神様の水や鈴ヶ森の方まで見渡せ、大森ステン所(ステーション)の汽車まで望見できた。春は蝶が舞い、道を挟んで菜の花盛り、夏の夕望ともなれば、子供が三、四人連れ立って浴衣がけで「ホーホー、ホータル来い、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ・・・・」と唄いながら蛍狩りを楽しんでいた。
ある夏の夕暮、私は同じように唄って蛍狩りをしていた。森本の裏田園の稲穂に蛍が二匹並んで停まっていたので、捕まえようと手を出したところ、ニョロときた。私はとびあがって驚いた。蛇の目玉だったんだ。以来、蛇恐怖症になり、情けないほど蛇に臆病になってしまった。
ここから川下へ行くと神明様の弁天橋や東海道には「なみだ橋」がある。また川上に向かって田園道を行くと、途中に一軒の茶屋があり、夏は氷水を売っていた。つき当たればできたての桜新道に至るが、まだ田舎の香水を嗅ぐ鈴ヶ森田園へ続く道である。