其の四:立会川のドンドン橋

 

立会川河口から一丁も遡った地点に明治時代は草の生い茂った狭い小川に丸木の一本橋があった。そこに大正初期に小さな木の橋が架けられた。名無しの橋であったが、私たちがこの橋を渡る時、足音がドンドンと響くので、誰いうともなく「ドンドン橋」といったのが、町の人たちも皆そのように呼ぶようになった。満潮の時はドンドン橋の下まで潮が上がって来ておぼこや鯊(ハゼ)やセイゴが水面でプカプカしていたし、聖天様池から土管で通っている水流の落口には弁天たなごや小鮒(コブナ)も棲んでいた。幼い頃には川へ下り、夢中で玉網ですくったものだった。

 ドンドン橋の橋詰は小さな五辻で、西側には茶店の富田というおじいさんが氷屋をやっていた。かき氷(一杯四銭)、ラムネ(五銭)を商い、道行く人々はここで一服した。おかみさんは髪結いさんをして細々と暮しを守っていた。石垣は植木屋、手前の竹垣は関根医院の内側、その右隣には、見えないが黒塀の続く名和長憲男爵の広い池のある邸宅があり、大井町の町長を長く任じ、また在郷軍人分会の会長も務めていた。左手に見える立会川土手は美しい並木で、料亭「四季の里」や「お茶屋の山」に行く道の入口である。橋から立会川停留所までの川沿いは人家なく、踏切際に車屋と氷屋が二軒あるだけの寂しい土手道であった。後にはこの土手上に商店街が栄えた。

 このドンドン橋の道も大正十三年に始まった京浜国道の工事で掘り返され、昭和三年頃、十二間道路(京浜国道)が建造された。小さなドンドン橋も思い出を残しておおきなコンクリートの立会川橋に代わった。