神社のご由緒

History

御由緒

天祖神社と諏訪神社は、古くは神明宮(神明( しんめい ) さま)、諏訪社(お諏訪( すわ ) さま)と称し氏子を同じくし東京湾に面し立会川をはさみ併祀されていた。

天祖神社は南浜川の地に鎮座し、御祭神は天照大御神・豊受大神を祀り、明治8 年7 月村社に定められ、浜川町と元芝との鎮守である。境内には連理の椿があり有名な古蹟の地としての名があった。
かつて江戸時代(文化文政年間)には多くの半農半漁の氏子が住んでおり、漁業を営む人々により海苔漁も賑わっていた。創建は、建久年間の「大井郷之図」や来福寺の記録から平安時代末期(1100~1190)に遡るとも思われる。

諏訪神社は北浜川の地に鎮座し、御祭神は建御名方刀美神(建御名方神)を祀り、松平土佐守下屋敷の海岸寄りにあり、末社として小碓神社が祀られていた。創建は江戸時代初期の寛永8 年(1631)以前と思われる。

氏子の多年の宿願により、昭和40 年(1965)神明造の荘厳な御社殿を天祖神社境内に完成し、同年11月1 日両社を合祀し天祖・諏訪神社となった。なお、合祀に伴う社名を「大井神明宮」と称したいと切に願った先代宮司大野義夫の遺志をここに記し、通称とさせていただく。

令和の御代にはいり、兼務社「濱川神社」の御分霊を天祖・諏訪神社に併祀。御祭神は厄神( やくじん ) さまと崇められる須佐之男命・大物主命・少彦名命を祀る。

当神社は、神明さま・お諏訪さま・厄神さまの七柱の神様をお祀りする「天祖諏訪の大神( おおかみ ) さま」である。

「大日本名所圖會第八十三編」品川 諏訪神社と天祖神社 明治三十年写 昇雲
「大日本名所圖會第八十三編」
品川 諏訪神社と天祖神社 明治三十年写 昇雲

主神

天祖神社 御祭神
天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
豊受大神
(とようけのおおかみ)
御神徳
家内安全・身体健全・商売繁昌・除災招福・良縁・学業成就など

「お伊勢さん」として親しく呼ばれる伊勢神宮は、正式には「神宮」といい、当神社は神宮で祀られている天照大御神(内宮)と豊受大神(外宮)をお祀りしています。
天照大御神は、皇室の御祖先(みおや)であり、私たち日本国民の総氏神です。日の神としても伝えられ、天地万物すべてに光をお与え包み込むことから、その御神徳は実に広大無辺であります。
豊受大神は、内宮の天照大御神のお食事を司る神であり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。

諏訪神社 御祭神
建御名方刀美神
(たけみなかたとみのかみ)

別称:建御名方神
(たけみなかたのかみ)

小碓命
(おうすのみこと)

日本武尊の幼名

御神徳
武運・勝運・災難除け・交通安全・海上安全・開運・商売繁昌など

「お諏訪さま」として仰がれる「諏訪大社」の御祭神である建御名方刀美神とともに小碓命をお祀りしています。
建御名方刀美神は、武勇に富み、武神とされ、建御雷神との力くらべが後に日本の国技となる相撲の起源となったと伝えられています。
お諏訪さまは古来より、水神・風神信仰があるとともに、諏訪の地を開拓したとされ、「何事にも勝ち道を切り拓いていく」御神徳をお持ちであり、受験や試験、仕事、スポーツなど、何事にも力強い御神徳がある神さまとして信仰されています。
小碓命は、日本武尊の幼名です。豪胆で武勇に優れた行動的な性格で、熊襲・蝦夷平定の為に活躍した英雄神とされています。お酉さまの神様としても有名です。

併祀

浜川神社 御祭神
須佐之男命
(すさのおのみこと)
大物主命
(おおものぬしのみこと)
少彦名命
(すくなひこなのみこと)
御神徳
厄除け・災難除け・病気平癒・身体健全・家内安全など

「厄神さま」として崇められる「浜川神社」の御祭神である須佐之男命・大物主命・少彦名命をお祀りしています。
江戸時代は天明の頃、福島三衛門という人物がいました。幼少より信仰の念が厚く、富士山の登拝、高尾の琵琶滝において滝行、更には出羽羽黒山にて修行を積んで羽黒修験となり、教光院了善と称しました。その了善が、浜川の地に移住し自宅に神祠を建てて厄神大権現(やくじんだいごんげん)を奉斎したことが、浜川神社の始めであります。

開祖・了善が一躍脚光を浴びることになったのは、輪王寺から権大僧都に任じられて江戸城大奥への出入りを許され、将軍家斉(いえなり)の病気平癒祈願を行った天保期です。この了善の祈祷の成功により、大奥や島津家などの諸侯の信頼を得ました。
ところが、当時の南町奉行・鳥居忠耀(耀蔵)の目にとまり、かえって将軍呪詛(じゅそ)の疑いをかけられるに至り、流罪の処分が下って八丈島に遠島となってしまいました。了善は八丈島で一生を終えましたが、嘉永5 年に教光院了善の孫である大野良顕が復興し、厄神大権現を再建しました。

厄神大権現は、明治時代初年の神仏分離により浜川神社となりましたが、同社に伝えられていた文書類は「浜川神社文書」として、品川区の有形文化財に指定され、その様相を今に伝えています。

御神域

当神社は、羽田空港や都心からのアクセスも良好ながら、境内は暖かい日の光が御社殿を照らし、天照大御神の神気が満ち満ちた穏やかな空間が広がっています。
また、境内には嚴島神社(弁天さま)をお祀りし、社殿を囲む池には大きな鯉が悠然と泳いでおり、癒しの空間でもあります。
お近くにお越しの際には、どうぞご参拝下さいませ。

御神域の画像

摂社・末社

当神社には、天照大御神を主神としてお祀りする御本殿以外に、境内に2 社のお社があり、これらを摂社・末社といい、それぞれに神様をお祀りしています。

嚴島神社(摂社)
市杵島姫命
(いちきしまひめのみこと)
田心姫命
(たごりひめのみこと)
湍津姫命
(たぎつひめのみこと)
御神徳
幸運・財宝・芸能・学問・海上安全

元は天祖神社に境を接し祀られていた嚴島神社。御祭神は、天照御大神と須佐之男命が高天原で剣玉の御誓(うけい)をされた時に御出現になった神で、三姉妹の女神様です。
当社は、広島の嚴島神社より御分霊を祀り、海の神、水の神、幸福・財宝を招き、芸道上達、学問の御神徳を持つ神として仰がれています。

摂社・末社の画像
稲荷神社(末社)
宇迦之御魂神
(うかのみたまのかみ)
御神徳
五穀豊穣・商売繁昌・家内安全

穀物の神、農耕の神、商工業の神として崇められています。名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されています。

稲荷神社(末社)の画像